弥生の「愛宕神社」
長い階段はまるで木のトンネルのようで、街からそれほど離れていないのに大自然の山の中にいるかのような気分にさせてくれます。
祭 神:軻遇突智神(かぐつちのかみ)
菅原道真(すがわらのみちざね)
天穂日命(あまのほひのみこと)
境内社:伊弉諾命(いざなぎのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)、熊野久須比命(くまのくすびのみこと)を祭神とする熊野社
大神惟治霊(おおがこれはるのみこと)をまつる富尾社
ユズリバ鎮座の山神社、須之内鎮座の山神社、トウナ畑鎮座の山神社の三社を明治17年(1884)9月、愛宕神社の境内社として合せ祀ってある。
由 緒:『南海部郡史』によると、愛宕神社は、明治村大阪本(現弥生町)畑にあり、祭神は軻遇突智神にして、慶長元年(1596)6月28日釈魔嶽(しゃくまだけ)より分霊をここに移したるものなりと。尺間神社の開基は、天正元年(1573)7月21日という。それより23年程経て慶長元年に釈魔神社の主神軻遇突智神を勧請して飛尾山に祀ったのが起源である。
尺間神社と愛宕神社の関係は、名称は違っていても奥宮、前宮の関係にあるという。
然し、明治以降は独立神社となっているようである(『佐伯市史』)。
「豊後史談」によると、「慶長元年(一五九六)六月頃、毎夜、釈魔嶽の方より一団の火焰が愛宕神社の森飛尾山の方へ通ひけるに、里人等これを見て大いに怪しみ、皆皆何事ならむと恐れいたりしに或夜神託ありて、火尾山に勧請すげき旨仰せられければ里人大いに安堵の思いをなし、大神の氏子となる。大阪本村、切畑村、上野村、下野村、古市村、上岡村六ケ村の住民いずれも相うち揃ひて神殿を造営したりき」とある。これは混迷の際、六ケ村の人達が多数参加して神殿造りに協力したことを物語っていると思われる。佐伯藩でも、享保13年(1728)六代藩主高慶公は、愛宕神社参拝後、神社名称を愛宕大権現としたと神社提出資料に述べている。
享保一六年、高慶公は愛宕神社社殿を新築寄進された。宝暦から明和(1751~1771)の頃、八代高標公は愛宕大権現の額面二ッを寄進。文化元年(1804)6月、第十二代高謙公は愛宕神社より尺間神社までの四二本の道程表示を石柱にして寄進された。以上は概略の寄進状況であるが、家老日記からも歴代藩主の信仰ぶりも語られており、その篤き信仰を知ることができる。
【関連する動画】
「愛宕神社」
https://www.youtube.com/watch?v=1X2TZzt1J-I
「愛宕神社の夏祭りとして大坂本と尺間の両地区氏子の皆さんによって奉納されてきた風流・杖踊」
その昔、ひどい日照りが続いたためお祈りをしたところ三日三晩雨が降り続いてその年は豊作になったという「雨乞い」が起源とされるほか、
先祖供養や五穀豊穣などの祈願のために奉納されており、昭和41年3月22日に大分県の無形民俗文化財に指定されている。
https://www.youtube.com/watch?v=tmAAEUIyAgI
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