江武戸神社(えぶとじんじゃ)|佐伯市蒲江
蒲江 文化、歴史
海
海に向かって鳥居がある
江武戸神社
海に向かって鳥居がある。初めて見た時は不思議に感じたこの造り。由来を知ると「なるほど!」と納得。海上安全の神様だったのですね!400メートルもの間に、ぎっしり詰まって隙間もない程の船が並んでいたそうです。
祭 神
- 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
- 事代主命(ことしろぬしのみこと)
- 底筒男命(そこつつのおのみこと)
- 中筒男命(なかつつのおのみこと)
- 上筒男命(うわつつのおのみこと)
創 祀
安和元年(968年)
由 緒
神武天皇が畑野浦の港に寄った後、船出の際に里人たちが、海上に突き出た岩礁に御幣(ごへい:麻または紙を切り細長い木に挟んで垂らしたもの)を立て、船の海上安全と武運長久を天津神(あまつかみ:高天原の神)に祈願した。その地に第63代冷泉天皇の安和元年、祠を建て、一般船人たちの海上安全の守護神として奉ったものと伝えられる。後年、佐伯藩主は海上豊漁の神として奉るように入津浦の庄屋たちに命じ、社殿を建立させ、その経営に当たらせた。
以降、里人漁師たちの崇敬もあつく、年一回の例祭には上入津のすべての漁船は旗のぼりを立てて、御幣礁(ごへいばえ:上記で御幣を立てた岩礁)から神社の鳥居前の砂浜まで400メートルの間に船を並べた。社殿・参道から砂浜にいたるまで、ぎっしり詰まって隙間もない一大絵巻のようであった。参詣者たちは一日中酒をくみかわし、境内に設けられた土俵では相撲が盛大に取り行われ、宮崎・熊本方面からも力自慢の力士たちがはせ参じたという。また神前には終日神楽が奉納され、参道や周辺の空地には露店が立ちならび、そのさまは江武戸の市として近郷浦々に伝えられ、終戦までこの盛況は続いたのであった。