佐伯城|続日本100名城 194
2017年、日本城郭協会の50周年を記念して新たに選定された100名城のひとつに、「佐伯城」が選ばれました。
100名城を巡るスタンプラリーのスタンプは、佐伯市歴史資料館(受付前)に設置されています。
※佐伯市歴史資料館が休館日の場合、城下町観光交流館に設置しております。
佐伯城
佐伯城は、初代藩主 毛利高政により築城されました。築城開始は1602年、築城完工は4年後の1606年です。
「佐伯城」の、正式名称としての定めはありません。
1700年代以降の幕府に提出する書類では「佐伯城」、藩内に向けた文書では「御城」「御山城」となっています。
また、「築城時に鶴ヶ城と呼んだ」とする江戸中期の文書がありますが、他の文書ではこの名称は使われていません。
「鶴ヶ城」「鶴屋城」の由来は明治以降の書物で取り上げられますが、諸説あります。(鶴がたくさんいたとも、城の形が翼を広げた鶴のようだとも言われています。)
元和3年(1617)の火災で二の丸御殿が失われました。(天守の被害は不明です。)現在の櫓門は、天保3年(1832)に建て直されたものと思われます。
寛永14年(1637)に初めて櫓門が建てられ、享保11年(1726)に建て替え、天保3年に再度建て替えられています。(昭和50年に屋根を修理し、窓を障子からガラスに交換されています。)
三代藩主毛利高尚(もうり たかなお)は、寛永14年(1637)に山麓に三の丸を開いて藩政を執ります。佐伯城の現存する唯一の城郭建築物「佐伯城三の丸櫓門」は、このときに藩庁の正門として建造されました。
城山登山道案内図
本丸石垣
往年の面影を残す石垣。本丸の石垣は、高さおよそ6m。本丸外曲輪から本丸に登る階段は、毛利神社創建後のものです。
二の丸 虎口
虎口とは、城郭における出入口のこと。敵の侵入を阻むために、通路を屈曲させ、幅を狭めています。
廊下橋
本丸に入る、幅の狭い階段と橋。有事の際には、廊下橋を落として敵の侵入を防ぐといわれます。
階段状の石垣
石垣の前面に別の石垣を重ねて、4段の階段状とした石垣。1734年(享保19年)に崩れた斜面の復旧のために築かれました。
独歩碑
明治26年(1893年)、鶴谷学館に教師として招かれた国木田独歩は、後年、佐伯を舞台とした作品を残しました。「春の鳥」「源おぢ」の舞台である城山山頂に、佐伯独歩会によって独歩碑が建立されました。
基本情報
佐伯城跡(城山)○所在地:佐伯市大手町1-1-1
○駐車場:200台収容・バスOK・三の丸櫓門前駐車場を利用(無料)
関連ホームページ
お問い合わせ先
佐伯市歴史資料館 TEL: 0972-22-0700佐伯市城下町観光交流館 TEL: 0972-28-5656
佐伯市観光案内所 TEL: 0972-23-3400