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直川の肘切神社(ひじきりじんじゃ)
直川 文化、歴史
不思議なご利益が!?

直川にある「肘切神社」願かけすると不思議なご利益があるかも!?

天井絵が鮮やかで綺麗です。御祭の際は戸を全部開けるので風通しがよい拝殿です。

 

祭 神:市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

    田心姫命(たごりひめのみこと)

    湍津姫命(たぎつひめのみこと)
合祀神:月読命(つくよみのみこと)

    菅原大神(すがわらのみちざね)

例 祭:毎年12月の第一日曜日

 


由 緒:文治元年(1185)、平家は壇ノ浦の戦いで敗れ、一門は滅亡するが、平家の落人は散り散りに九州の地に逃れた。

その中の平光世・光国兄弟は、緒方荘(大野郡)の緒方三郎惟栄の追っ手を逃れ、佐伯荘に落ちのびた。

直見の地にたどり着いたとき、村人たちは、この兄弟に矢を射かけた。平光世の肘に当たって負傷するが、なお山の奥へ逃げ隠れた。

その夜、平家一門の氏神である厳島(広島県宮島)の三柱の神が夢枕に立ったので、二人はこの三姫の命を勧請し、祈るうちに光世の肘の痛みも回復した。

二人は、さらに世利山を越えて因尾に逃れたが、ついに緒方惟栄の手の者に捕えられ最期を遂げた。

その後、光世・光国の怒りか、因尾に度重なる異変が起こり、村人たちは二人の霊を祀った(三竃江・前高大明神)という。

このことを伝え聞いた直見の村人は、平家一門の三姫神の霊威を恐れ、社殿を建立、氏神として祀り、その名を肘切大明神宮と呼んで参拝した。

鎌倉時代の文治二年(1186)のことである。

佐伯藩主毛利候は、度々使いを立てて、武運長久・五穀豊穣の祈願を行ったという。

なお、四肢の病の人が願をかけると治るという。

安永七年(1778)肘切大明神宮社頭一宇建立、安永十年(1781)に神殿・拝殿を新築した。

明治九年(1876)村社となる。相殿は、字川又の光神社(月読命)、字向船場の天満宮(菅原神)二社である。
(直川村誌より)

 

 

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基本情報

〒879-3102
大分県佐伯市直川大字上直見1318

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